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98年生きてくれてありがとう。おばぁちゃんを友人葬で送ったクリスマス。

 
Thank you for living for 98 years, grandma

祖母が98年の人生を閉じました。

この前会った時は元気だったのに。

亡くなるというのは、悲しい事で未だに信じられないところではありますが、葬儀を終え、火葬し、おばぁちゃんがこの世にいなくなってしまった事、納得する事にしました。

98年の中の青春時代が戦時中

大正8年生まれのおばぁちゃんは、ちょうど青春時代が戦争の時代でした。

兄弟を戦争で亡くし、自身も防空壕で過ごした話などをよくしてくれました。

 

「だから、おねぇちゃん(=私のこと)は楽しみなさいよ」

と、よく言ってくれました。

 

一緒に暮らしていたので、まだ学生のころは、おばぁちゃんがよく私の話を聞いてくれました。

信心も教えてもらいました。

 

本当に良く生きるには、

痛みを軽くするには、

悲しみを越えるには、

 

いろいろ話しました。

勝ち気な同士なんです、私もおばぁちゃんも。

だから、けんかもよくしました。

言いたい事が言い合えたから、余計亡くなってしまった今が、本当に悲しい。

 

 

おばあちゃんの人生

2人の大事な息子たち、私の父を7年前に、おじを21年前に亡くし、どれだけ悲しい年月を過ごしてきたか、はかり知れません。

7年前に、母がガンになり、長期の入院をしなくてはいけなくなりました。

今は社会復帰していますが、そのタイミングからおばあちゃんはグループホームで生活するようになりました。

 

合間をみて、おばあちゃんに会いに行くと、笑顔で迎えてくれる反面、「お母さん(=私の母)は、もう体調よくなったかなぁ。まだ、帰っちゃダメかなぁ。」と聞かれるので、「まだ良くならないけど、がんばっているから待っててね。」と慰め。

 

うちに帰りたいなぁ・・・と小さな声で呟いて、うなだれてしまう。

小さい声だから、私も聞こえないふりをして、「また来るからね!」と元気に帰る。

 

そんなふうに過ごしてきました。

肺炎で死にかけた時も、復活し、生きる活力に満ち溢れたスーパーおばあちゃんでした。

大好きなおばあちゃんだから、100歳まで!と思っていた矢先の出来事でした。

 

 

残念なことは、老衰ではないということ

食べるのが好きで、でも急いで食べようとするのが良くないところ。

その日も食事をして、夕飯後。

 

急変したと連絡があり、聞くと、のどに詰まらせてしまったらしい。

 

何を詰まらせてしまったかというと、「おもゆ」だそうで、ちょっと想像がつかない・・・

そこで、すぐに見つけてもらえなかったらしいので、救急車で運ばれた時にはすでに遅く・・・

 

重々しい機械を胸に当てられて肋骨が折れてしまうのではないかと思う状況で、生かされている姿に耐えられなくその機械を止めてもらいました。

2017年12月19日18時ころ98年の人生を終えました。

 

 

人生の幕を落とした時にその人の偉大さがわかる

毎日毎日、仏壇に手を合わせていたおばあちゃん。

その福運のおかげでしょう、きっと。

通夜・葬儀中も、12月にしては暖かくおだやかな天候で、きれいな富士山の姿も見えました。

 

友人葬でおばあちゃんを送ることは、本人の希望でもありましたし、家族の希望でもありました。

高齢なので、おばあちゃんのお友達は、ほぼ先立ち、あちらで待ち構えていてくれていると思います。

草創から頑張ってきたおばあちゃんに、名誉支部婦人部長の称号をいただき、顕彰していただけるという。

 

続けて頑張ってきたことは、亡くなった時にこそ輝きだすと、聞かされてはいましたがこういうことかと。

亡くなってからもその偉大さが光り輝ける人生ってすごいな!と、身震いしました。

 

私もそういう人生にしていきたい。

 

 

私が話した通夜での親族代表、お礼の挨拶

本日は年末のお忙しい中、祖母きみ子のために、丁寧なお悔やみをいただきまして、大変感謝いたします。

生前は多くの方のお力により、波瀾万丈であったと思いますが、98年、おばぁちゃんらしい人生ではなかったか!と確信しております。

数年前からグループホームで生活するようになって、私が遊びにいくたびに、みんなのことを気にかけて「英樹はご飯食べてるか?」「かっちゃん、優子は元気か」「お母さんは元気か」と、よく話しました。

帰りたいなぁ‥と呟かれた時は、一緒に心で泣いていました。

おばぁちゃんは、長生きすることで、玄孫(やしゃご)にまで会うことができて幸せだと思います。

命をつないでいくということは、毎日のことで大変な事ですがら大切なことだなぁと感じています。

おばぁちゃんは、いつも仏壇に向かって朝な夕な手を合わせていました。

夕方になると洗濯物をかしこまって畳んでいたおばぁちゃん。

お鍋を焦がしてしまって困っているおばぁちゃん。

すべてこの目に焼き付いています。

会えばニコッと笑ったくしゃっとした笑顔。

この思い出だけあれば大丈夫です。

おばぁちゃん、ありがとう。

あちらでは、お父さんとおじさんが先に行っているので久しぶりの団らんが始まっていると思います。

そう感じる事ができるので、私たちは幸せです。

これから私たちは、おばぁちゃんの人生に恥じないよう、仲良く、強く生きています。

今後とも、私たち家族を見守ってください。

また、皆さま方、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

本日はありがとうございました。

2017年12月22日

 

 

母のうたを最後に歌って送った

翌日の葬儀で、本当にお別れだ、と時間が経過するたびに悲しみが増し、まだ火葬される前に私ができることをしないと!との焦燥にかられました。

時間が押し迫ってはいましたがわがままを言わせてもらって、棺桶にふたをする前に、おばあちゃんのためだけに歌を歌わせてもらいました。

 

母よ。

あなたは、なんと不思議な豊かな力を持っているのか。

もしも、この世にあなたがいなければ帰るべき大地を失い彼らは、

永遠にさすらう・・・・

 

おばあちゃんが私のおばあちゃんじゃなかったら、私はこんなに強く生きられなかった。

おばあちゃんが私のおばあちゃんじゃなかったら、私は夢を描いてもいいと思えなかった。

 

ありがとう。

 

この言葉しか見当たらないけれど、これからはもっと強く生きる。

 

そう、決意しながら歌っていると、うっすらと歯が見えて、笑っているようでした。

 

歌い終わると、また顔がもとに戻りました。

不思議ですが本当です。

 

生も歓喜!

死も歓喜!

 

仏法を身で読んでいるようでした。

 

こんなに悲しいのに、あたたかい気持ちでいれるのは、友人葬で送られたからかなぁと感じました。

心のこもった通夜・葬儀でした。

クリスマスなしの2017年も、なかなか良い1年。

 

結論

 

 

悔いのない毎日を!

 

 

 

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miyagishima hitomi
4人の子育てしつつ、2人の孫も育て中。 Webがわかる・デザインができる・ブログを楽しむオンライン式「ピクニック365カフェ」として、2018年4月再生! そして、小学校PTA事務も継続中。 アクセスバーズ™プラクティショナーとしても活動中! パソコンWEB大好き~!WordPress大好き~♡
 

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